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ガンズ・アンド・ローゼズ (''Guns N' Roses''/略称''GN'R'') は、1985年に結成された、アメリカのロサンゼルスを拠点とするハードロックバンド。全米で4,200万枚、全世界で1億枚以上のアルバムセールスを記録する。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第92位。 2012年に、ロックの殿堂入りを果たした。 == 来歴 == 1985年3月、''Hollywood Rose''のアクセル・ローズとイジー・ストラドリン、''L.A.Guns''のトレイシー・ガンズらによって結成される。バンド名は、互いの前身バンド名を組み合わせ、''Guns N' Roses''と名付けられた。しかし、このメンバー構成は長続きせず、トレイシー・ガンズをはじめとするL.A.Gunsの3人の元メンバーが相次いで脱退。代わりにベーシストのダフ・マッケイガン、ギタリストのスラッシュ、ドラマーのスティーヴン・アドラーが加入し、初期ラインナップが完成する。なおこの頃、アクセル・ローズに5万ドルで引き抜きの話がきたが、「こんな金額じゃガンズ・アンド・ローゼズにははした金だ」と言ってそのオファーを蹴っている〔ガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズ、900万円程度では辞められないとデビュー前の引き抜き話を蹴ったことが明らかに ro69.jp 2013年3月4日〕。 1986年3月、契約金7万5000ドルでゲフィン・レコードと契約を締結。同年末に疑似ライヴEP、''Live ?! *@ Like a Suicide''を1万枚限定でリリースし、レコードデビュー。自主レーベルを装ってゲフィン傘下から発売され、すぐに完売した。 1987年7月、アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』でデビュー。全米ビルボード初登場182位。リリース直後には、ロボットが女性をレイプするジャケットの絵柄にクレームが付き、アクセルの右腕のタトゥーである十字架柄に変更するなどのトラブルもあった。当初、バンドメンバーのアルコールやドラッグの問題から、MTVがミュージック・ビデオの放映を拒否するが、ゲフィン・レコードの上層部の説得で「ウェルカム・トゥー・ザ・ジャングル」が放映されると一気に人気に火がつき、50週間後に1位まで昇り詰め、今までにアメリカで1800万枚以上、世界中では3000万枚近くも売り上げている。このアルバムからのリカット・シングル「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」は全米1位に輝き、「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」や「パラダイス・シティ」なども全米10位内にチャートイン。 1988年、''Live ?! *@ Like a Suicide''にアコースティックソング4曲を加えたミニ・アルバム『GN'R ライズ』をリリース。『アペタイト・フォー・ディストラクション』に続くスタジオ・アルバムまでの繋ぎとして発表された。 このアルバムは、1989年5月にはチャート2位までランクアップし、2作とも全米アルバムチャートのトップ5にランクインさせた。今までにアメリカ国内だけで500万枚以上、全世界累計では1200万枚以上も売り上げている。 1990年、ドラッグ中毒を原因にドラマーのスティーヴン・アドラーが脱退。後任にザ・カルトのマット・ソーラムが加入。同時期にキーボードのディジー・リードが加入。 1991年、4年ぶりのスタジオ・アルバム『ユーズ・ユア・イリュージョン I』、『ユーズ・ユア・イリュージョン II』を2作同時リリース。世界中のチャートで1位、2位を独占、現在までに合わせて約3000万枚も売り上げている。同年秋、ギタリストのイジー・ストラドリンが脱退。元Candy〔:en:Candy (band)〕、元Kill For Thrillsのギルビー・クラークが加入。後にアクセル・ローズは当時を振り返って、同年の『ユーズ・ユア・イリュージョン』ツアーに出たことがオリジナル・ラインナップの崩壊につながったと主張している〔ガンズのアクセル・ローズ、スラッシュは自分の健康を無視してツアーを強要したと語る ro69.jp 2013年3月11日〕。 1993年、パンク楽曲を中心にしたカバーアルバム、『ザ・スパゲッティ・インシデント?』をリリース。全米4位にチャートイン。同年、約2年半続いたワールドツアーを終了。合計約700万人以上を動員し、アメリカの経済誌「フォーブス」による「世界で最も稼いだバンド」で1位に。 1995年、スラッシュがスラッシュズ・スネイクピット名義でアルバムを発表するも、アクセルが「ガンズ・アンド・ローゼズで発表すべき曲を勝手にリリースした」として訴訟を起こす。1996年、スラッシュが脱退。 1997年、アクセル・ローズが''Guns N' Roses''と言うバンド名を法的に獲得〔元GEFFINのA&Rトム・ズータウが雑誌「SPIN」誌に語ったところ、「GET IN THE RING TOURの始まる前日(おそらく1991年5月23日)にアクセル側より、『バンド名の所有権を渡さない限りステージには立たない』との要求があり、他のメンバーはツアーのキャンセルで発生する高額な賠償金を考慮してサインした」とのこと。〕。同時期にマット・ソーラムが解雇される。 1998年春頃、ダフ・マッケイガン脱退。オリジナルメンバーはアクセルだけとなる。 1999年、映画『エンド・オブ・デイズ』のテーマ曲として、約8年ぶりとなる新曲''Oh My God''を発表。この曲は本映画のサウンドトラックに収録されている。同年11月23日、初の2枚組ライブ・アルバム『ライヴ・エラ '87〜'93』をリリース。 2001年、ブラジル、リオデジャネイロにて、ロックインリオに出演。当時メンバーは、バケットヘッド、元プライマスのブライアン・マンティア、ロビン・フィンク、ポール・トバイアス、元リプレイスメンツのトミー・スティンソンら。アクセル自身、表舞台に全く姿を見せていなかったため、見事なまでの"激太り"もアピールしていた。「イッツ・ソー・イージー」の演奏中、観客の一人が着ていたスラッシュのTシャツが気に食わず、ステージ上からセキュリティに命じてTシャツを取り上げるという場面があった。この日は「チャイニーズ・デモクラシー」、「ストリート・オブ・ドリームス」、「マダガスカル」、「シルクウォームズ」などの新曲を披露。 2002年、MTV Video Music Awardsのサプライズ・ゲストとして登場。番組の企画段階から外部への情報をシャットアウトし、一部関係者以外はスタッフさえも出演することを知らされていなかったとされ、番組スタッフが機材を運ぶ時に、箱に"Guns & Roses"と書いてあるのを見て初めて当日の出演を知ったという話もある。夏には4度目となる来日公演として、サマーソニック02へ出演した。開演前の照明トラブルによりスタートが約70分遅れたが、無事にスタートした。一般TVへの放映禁止、カメラマンは専属のカメラマンをつけて、写真もオフィシャル以外での掲載を禁止したため、メディアへの公開は非常に少なかった。大阪では曲中に「トーキョー!」と叫んでしまい、そのあとのMCで「オオサカだったよな。」と謝るシーンもあった。その後、海外のロックフェスへ出演を重ね、新しいラインナップでの活動を本格化していくことになる。 2004年、初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。新曲は一切収録されていないにも拘らず、全米だけで400万枚を超える売り上げを記録。アクセルと元メンバーのスラッシュ、ダフは、「自身の承諾を得ていない作品」として、ゲフィン・レコードを提訴している。同年、過去にバンドを脱退したスラッシュ、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラムらヴェルヴェット・リボルヴァーを結成。 2006年、MTV Video Music Awardsに、ラストパフォーマンスアーティストのキラーズの紹介として、アクセルが登場。たった10秒間の登場だったが、アクセルがこの時のためだけにテレビ出演するのは初めてである。また、一部のツアーでイジーが仮復帰し、大きな話題となった。 2007年7月14日、14年ぶりとなる単独来日ツアーを開始。初日は予定より59分押し、2日目は150分以上押しでの開演となったが、初日の終演後、現体制では初めての「ドント・クライ」を演奏したり、2日目にもアクセルが退場後に姿を見せるなど、他公演では見られなかったパフォーマンスとともにツアーは成功に終わった。このツアーでは、7月18日に約19年振りとなる日本武道館での公演も行った。同年9月、バンド結成前から『アペタイト・フォー・ディストラクション』発売直後まで彼らを追いかけ続けたスラッシュの親友、マーク・カンターによる本『レックレス・ロード』が発売。 2008年3月27日、アクセルは公式サイトにて、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーのマネージメントでもあるアーヴィン・エイゾフが率いるエイゾフ・ミュージック・マネジメントと新たに契約したことを発表。同年10月16日、ユニバーサルミュージック公式サイトにて、2008年11月23日(日本時間11月22日)に新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』を世界同時リリースすると正式発表。また、未発表曲9曲を自身のサイトで流したブロガーが著作権法違反の容疑で逮捕された。 同年11月23日、『チャイニーズ・デモクラシー』がリリース。 2009年1月30日、バンド結成前から「アペタイト」発売直後までの秘蔵の写真900点と当時の関係者20人以上の証言を取りまとめた『レックレス・ロード』の日本語版が発売。同年3月21日、今後のツアーにおけるロビン・フィンクの代役として、DJアシュバが加入〔GUNS N' ROSES NAMES DJ ASHBA AS BAND'S NEWEST AXEMAN 2009年4月7日取得。 〕。同年12月、「チャイニーズ・デモクラシー ワールドツアー」として、アジアで4公演のツアーを行う〔Upcoming Guns N' Roses tour dates 2010年2月26日取得 〕。台湾、韓国公演に続き、2年ぶりの来日を果たし、大阪と東京で公演を開催。大阪公演は午後9時過ぎから3時間を超えるパフォーマンスを行い、終了時間は次の日の0時12分であった。3日後の東京では、午後6時35分頃から3時間半を超える公演を行って、アジア・ツアーは終了した。 2010年1月、カナダ公演。同年3月-7月、南米、ロシア、北欧公演。同年4月、スラッシュのソロ・アルバムに、アクセルを除いた結成時のオリジナルメンバー全員が参加した。同年8月、レディング・フェスティヴァルで終了時間に制限があるため、事前に警告されていたにも拘らず1時間の遅刻をし、アンコールの前に主催者にPAシステムの電源を抜かれるという失態を犯した。さらに翌月には、ダブリンに於いて40分遅刻した際、ファンからペットボトルなどを投げつけられるなどしたため、ショーを20分で切り上げて帰ろうとした(スタッフの説得で、なんとかフルセットを演奏し終えた)。 2012年にロックの殿堂入りを果たし、授賞式を4月14日に控えていたが、2日前にアクセルが殿堂入りをドタキャンし、またイジーも欠席、当日はスラッシュとダフ・マッケイガン、スティーヴン・アドラー、マット・ソーラムの4人が集結した。プレゼンターとしてグリーン・デイが登場し、ビリー・ジョー・アームストロングがアクセルの名を挙げようとすると、観客からブーイングが起こった。それに対しビリーは「大抵のシンガーっていうのはクレイジーなものなんだよね。それは俺が保証するよ。アクセルは歴史上マイクを握ったフロントマンのなかでも最高のひとりだよ。でも、前に進むためには時々、自分の人生のずっと前の方の章を読み返さなきゃならないこともあるんだよ」と諭した〔〕。また、『スウィート・チャイルド・オブ・マイン』『ミスター・ブラウンストーン』『パラダイス・シティ』の3曲を披露、アクセルの代役にマイルス・ケネディが、イジーの代役には18年振りにギルビー・クラークが参加した。同年12月18日、インドネシア公演に続いて、急遽来日。Zepp Tokyoにて1回限りのショーを行った。セットリストなどは、2009年のチャイニーズデモクラシーワールドツアーの時とほぼ同一。機材トラブルの関係で、開場が2時間遅れた。 2014年、トミーがバンドの再結成に参加するため一時離脱。ダフが一時復帰した。 2016年1月、コーチェラ・フェスティバル 2016にヘッドライナーとしての出演が発表された。同時に、かねてから噂されていたスラッシュ、ダフの復帰が正式に発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガンズ・アンド・ローゼズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Guns N' Roses 」があります。 スポンサード リンク
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